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1月31日
腰が痛い時は、恐ろしい夢を見る。
昨夜は、、、蛇が出てきた。
一匹は100m、他の蛇も数十mの巨大蛇。
もう本当に、勘弁して欲しい。
こんなデッカイ蛇なのだ。腰が良くなるわけがない。
(過去、熊や虎と喧嘩したこともあるが、
蛇だけは怖いし、鈴木あみの方が絶対に良い。)
私は昔、旅をしていた。
沖縄以外の県は廻った。
沖縄の文化には、関心を持っていた。
しかし、行かなかった。
車で寝泊りだったので、鹿児島からのフェリー代が高くて、諦めた面もある。
しかし、もっと大きな理由がある。
沖縄、特に宮古の文化には関心があったが、
しっかし、沖縄には蛇が多いという思いがあり、絶対に行きたくなかったのだ。
何しろ、沖縄には海の蛇もいるのだ。
つまり、肴を獲る海も楽しめないのだ。
(一応、どなんや与那国の花酒は、日本で一番美味いと思っているが。)
とにかく、蛇だけは駄目なのである。
ついでに、海外にも行った事がない。
金が無かった。
と言うのは、嘘である。
初めて書くが、
作品だけでやっていこうとした頃、NYに行く計画を立てていた。
初めて書くが、
私は高校の頃は勉強はしなくて、英語も10段階の1であった。
(もちろん、一番じゃないよ。)
しかし、中学の頃の英語は5であった。(もちろん、トップクラスね。)
顔と同じくらい、頭も良かったのだ。
だから、英語はナントカなると思っていた。
(現在は、ジスイズアペン。)
しかし、先輩のミュージシャンIさんにアドバイスされたのだ。
「NYに行くのは良いけど、日本のこと知ってる?」
三重と東京と修学旅行先ぐらいしか、知らなかった。
NY行って、日本の事を聞かれたら、、、、。
フジヤマ、芸者、ハラキリになってしまう。
で、Iさんの知り合いの米沢の画家Tさんを紹介された。
Tさんはその昔、最年少で上野の森で展示された人である。
(Tさんは鬼海さんとも知り合いだし、秋山庄太郎さんとも親しかった。
驚かれるかも知れないが、秋山さんは写真より、絵の方が好きだったという。)
一週間過ごした。芸術論議も白熱した。
Tさんはバツイチの独身。料理は私がした。褒められた。
珍しい若僧が来たせいか、いろんな人を呼んでくれた。
陶芸家のMさんを紹介された。
かなり、変わっている人だった(笑)。
そして、Mさんが萩で修行していた時の仲間である、
北海道の洞爺村のKさんを紹介してくれた。
北海道には行ったことがない。
4万ぐらいしか持っていなかったが、2,3日は置いてもらえるだろうと思った。
結局、Kさんの所には一月半いた。
登り窯の整備や、上釉がけ。そして、畑作業。
自然や他ジャンルのへの叡智も凄く、多くの事を学んだ。
私は、写真家と扱われることが多いのだが、
私の師匠は、画家と陶芸家なのである。
そして、この旅によって、
日本の事を少し、知った。
日本さえ知らない日本人が、アメリカに行って、なんの意味があるのか?
当時、好きだったアダムスやウェストンら西海岸派の作家は、
彼らの身近なものを撮っていたと思う。
と、いう思いになったのよ。
もちろん、海外の珍しい所を撮り、
金に替える人達の存在は知っていた。
しかし、私は昔から不器用な人間であるし、
西海岸派の人達を尊敬しているのだ。
身近な日本にも知られていない美があると思った。
(もちろん、花鳥風月ではないよ。笑)
先人の跡を追うのではなく、先人の求めるを求める。
なのだ。
風間って、真面目でしょ。
しかし、
この「先人の跡を、、、」は、盗作なのよ(笑)。
私は上京した頃、ミュージシャンを撮っていた。
世田谷区の上馬にあるガソリンアレイというライブハウスに、
友人達が出ていたので通った。
ガソリンアレイのトイレに、川島英五さんの大きなポスターが張ってあった。
「先人の跡を、、、」は、そのポスターに書かれていた言葉なのだ。
英五さんには、一度会った事がある。
「LIVE」という初めての写真集を見せた。
じっくり、見てくれた。
「五年後に、見てみたい。」
その後、ミュージシャンは撮らなくなった。
昨年、昔の知人を撮った。
場所や体調の問題もあったが、熱意はわかなかった。
英五さんは亡くなったが、
先人の求めるところだけは、求めたい。
今日は、早く飲んで寝た。
そして、夜中に起き出した。
今夜は、愛理がテレビに出るのだ。
本当に、出ていた。
これが率直な気持ちである。
ユーチューブとかでは見ていたが、やはりテレビは、似て非なるものだった。
おまけに、26点と高得点だったのだ。
私は、拍手していた。
イツザイには、再度出られると思う。
(ただ、人気投票は携帯からのみなので、私は投票出来なかったが。)
番組を見られた方は感想下さい。
愛理に転送しますよ〜。
そして、携帯をお持ちの方は、ちぇんちぇんに投票してやってください。
そして、
そして、
ひょっとすると、「エンタの神様」にも出られるかも。
とにかく、本当に、本当に、美味しい酒でした。
ちなみに、ヒルズにあるテレビは、愛理が使っていたものである。
DVDが壊れた時、けいちゃんに貰ったものである。
なんでも鑑定団で、高い値段がつくように頑張って欲しい。
1月30日
体の節々が痛い。
67Uと645と重い方のジッツオを担いで、渋谷で撮影をしていた。
カメラマンというのはカッコ良く見えるらしく、
一人の女性が声を掛けてきた。
鈴木あみに似ていた。
撮影なんぞ辞めて、丸山町へ行った。
私は頑張ったつもりだったし、高い栄養剤も飲んだが、、、、、。
しかし、駄目だった。
虚しい思いをしただけだった。
鈴木あみは、何も言わなかったが、、、、。
ここで眼が覚めた。
体調の悪い時に限って、疲れる夢を見る。
腰が痛い。(夢のせいではない。)
とはいえ、頑張らねば。
という事で、持込作品の整理。
人形町から「東京裏がえし」が、ペンディングとメール。
いつになるかわからないけど、載ると思う。
フォトコンに行くのは、4日になった。
ドキュメント雑誌にもテル。
「光芒なき街」を載せたいのだ。
持ち込みが多く、プリントの郵送でも良いとのこと。
(多忙なんだろう。コピーでも良いと言う。)
実際に編集部に行った方が良いとは思うが、この体調である。
不安なので、郵送にする。
それにしても、ドキュメントと抽象的風景と裏がえしを、
同時にプレゼンするのは、どこかオカシイ。
さらに、カラーの「裏がえし」を持って週刊誌を廻りたいし、
「FOOD」類を美術系雑誌や、美術ギャラリーに持っていかないと駄目なのだ。
デジはおろか、携帯も使えない脳味噌だ。
頭がオカシクなる。
「光芒なき街」に同封する文章をボ〜っとした頭で書く。
相手はドキュメント専門とはいえ、東京のメディアである。
夕張で暮らしていた人間とは、見方が違うのではないだろか。
その不安も大きい。
略歴にも、苦労した。
略歴は、とうの昔に出来ている。
しかし、ワードパットの略歴のファイルは、
印刷するたび、年号の頭の位置がズレルのである。(麻生かよ。)
印刷プレビューを見て、修正しても駄目なのである。
つまり、私の頭では無理なのである。
(こういうのは、ホンマに、、、、疲れるのだ。)
「FACE」を作ろうと思ったが、体が動かなかった。
太陽のことを考えていた。
太陽と言っても、出来ちゃった結婚した辻の旦那ではない。
(それにしても、辻もかわいい顔して。)
太陽でなにか作れないかと考えていた。
「空」「川の記憶」等は、太陽を映した物だ。
というか、多くの野外で撮影されたものは、太陽の恩恵だろう。
太陽は、写真や肉眼の生活を支えているし、
太陽無しでは、地球上に生物の存在はないだろう。
太陽は、凄い存在である。
しかし、太陽そのものを撮ったとしても、
天文写真の方がインパクトあるだろう。(美しいしね。)
しかし、太陽を使って作品を作れないだろうか。
日光写真等ではなく、太陽の力そのものを使っての作品である。
エコに関心のある人の家の屋根には、ソーラー発電の施設がある。
それ以上の作品を作りたいのよねん。
フィルムや印画紙では、ともに真っ黒になるだろう。
陶芸での掻き落しも考えたが、
どっちみち、太陽の美しさ、力強さは表現出来ない。
太陽は、もの凄いパワーなのだ。
星の数ほどという言葉があるが、
実際の星の数は、絶対に数え切れないだろうし、
地球にだけ生命体がいるとは思えない。
私は、UFOの存在を信じている。
実際に見たから、確信している。嘘ではない。
(日清のカップ焼きソバも食うが。)
上京したての年である。
世田谷区三宿にある知人のミュージシャンのマンション。
数人が集まっていた。
誰かが、空を見て異変に気がついた。
異様に光る物体があり、
航空機やヘリコとは、違うデコボコで直線的な動きで、行ったり来たり。
初めて見たUFOに、本当に驚いた。
(当時の私は、UFOはドイツが作った兵器だと思っていた。)
言っておくが、見たのは私だけではない。
私がいた部屋の数人は、みんな見ていたし、
騒ぎになったので、マンションの人もほとんど見ていただろう。
しかし、最後までは見なかった。
45分以上、UFOは動きまくっていたのは覚えているが、
それ以上は厭きたのだ。
物的証拠は無いが、間違いなくUFOは実在するのだ。
明日の深夜は、愛理がテレビに出る。(というか放映される。)
テレビ東京だから、関東地方しか見れないし、
深夜だが、ぜひ見てやってください。
ちぇんちぇんの名前で、黄色いチャイナ服だそうだ。
1月31日 0:55〜 「イツザイ」です。
1月29日
やはり、無理はしない方が良い。
凄い熱である。
腰に限らず、関節のアチコチも痛いねん。
(昨夜も早く寝たのに。)
玉子入りのスープを昼飯代わりに飲んで寝た。
(なにしろ、酒欲もないのだ。)
起きれたのは、夜の8時。
とにかく、汗ビッショリ。
仕方ないので、久しぶりの風呂。
私はメンドクサイし、体調を壊すことが多いので、シャワーの人。
(だから温泉、特に和室は苦手である。)
秘密のケンミンショーを見ながら焼酎&肴。
酒食は進まないが、こういう番組は面白い。
私は沖縄以外の県に行っている。
しかし、車で寝泊りだったので、知らないことが多い。
なにしろ、三重県のことも知らないのである。
以前、実家のある隣町の漬物をテレビで見た。
詳しくは覚えていないが、赤土で漬けるというのだ。
初めて知ったもんね。
同じ三重県でも、4つの文化圏があるし、浜言葉はわからなかった。
私の実家は合併により、津市になった。
関西系のうどん文化があり、喫茶店のメニューには、うどんが多かった記憶がする。
(伊勢志摩地方の伊勢うどんとは違う。)
喫茶店の食事は、トースト系やピラフ類やスパゲティ類カレーライスと思うが、
うどんは、、、だが、津では普通だったんよ。
とはいえ、うどんは絶対〜に、関西系である。
私は、昔も貧乏だった。
しかし、東京の駅の立ち食いうどんは食えなかった。
真っ黒だったのだ。
お湯を入れてくれと言ったら、怒られた。
当時はグルメの時代でもないし、うどんは関西という認識がなかったのだ。
しかし、お湯を入れても駄目だった。
モッタイナイから、上に乗ってる具材だけ食って出た。
上京して初めて、新幹線と近鉄特急にに乗って津に帰った時、
津駅のホームでうどんを食った時、泣けてきた。
今では、冷しタヌキやざるも好きだが、
うどんはやはり、関西系のうどん。
それも、絶対に、うどんは素うどんなのである。
まあ、東京(埼玉だけど)には、日本中から人が集まっている。
誰もが自分の田舎のうどんが、一番美味いと思っているよね。
私は、食は関西だと思っている。
ただ、お好み焼きとタコ焼きは、もっと安くして欲しいと切に願っている。
日本で一番高い、札幌ラーメンも安くして欲しい。
1月28日
あ〜、疲れたあ。
やっぱ、東京は遠いねえ。
今日のアポは、午後1時。
東京に行くので、早く寝たつもりだったのだが、風邪だねえ。
頭も痛いし、電車の中が寒かった。
ヒルズでは、モモヒキとジャージ2枚の計3枚を穿いているが、
東京に行く時は、モモヒキとズボンのみ。
若いネーちゃん達はパンストどころか、生足も多い。
風邪引くなよ〜。
今日は腰も痛かったし、目的地は本郷なので、入間市駅までバスで行き、池袋。
それから、丸の内線で本郷3丁目。
見たことのある街並みがあった。
見たことのある街並みのマンションには、元カノが住んでいた。
家賃16万円。武蔵野ヒルズの4倍だった。(しかし、禁煙。)
大企業ゆえ、家賃の半分は会社持ちである。
入るのは難しいが、大企業は素晴らしいと思った。
風景の雑誌。
こじんまりした編集室。
驚いた。
現れたデスクは女性だった。
作品はボツだった。
評価はしてくれたが、「美術系の雑誌に行かれた方が、、、。」
予想はしていたが、行って良かった。
なぜなら、このデスクは美人だったのだ。
私のイメージでは、写真に関わる女性は偏屈で、
美しさとはあまり、縁の無い人だと思っていた。(すみません。)
しかも、このデスクは気さくな人で、1時間ほど話したほどだ。
(築地の美人編集者も良い人です。)
参考までに持っていった「風の記憶」も褒めてくれた。
(古いし、モノクロだから、駄目だったが。)
近くにあったカレンダーを指して、
「ウチはこういう雑誌ですので、これからこういう風景を撮られるのでしたら、
また見せて下さい。」
風景は天気次第。(昔、撮っていたもんね。)
時間さえ掛ければ撮れる。(白川さんのレベルは、無理だが。)
商業写真ほど儲からないが、
今の私の作品よりは、綾瀬はるかに金になるだろう。
悪くは無い。
それに、天気が悪ければ、、、、嬉しい。
昔のように、新鮮な魚介類を獲って飲んでいればよいのだ。
しかし、私の口から出た言葉は、
「こういうのは私が撮らなくても、他に一杯いるでしょ。」
風景写真の雑誌に売り込みに行ったのに、、、。
なぜか。
それは、
美人デスクの左手の薬指に、指輪があったからだ。
純粋でしょ。
若い人は、真似しちゃ駄目よ。
その後、六本木。
ヒルズに住んでいるが、久しぶりの六本木。
アマンドが懐かしかった。
東京ミッドシティのフジフォト。
名取洋之助賞の展示。
驚いた。
入り口に娘分が居て、目が合った。
「風間さん。」
しかし、その声は、
はるな愛以下の中年男の声。
中井菜央は、間違いなく女性、、、、の筈である。
本物の女だと思っていた。
どうせなら、はるな愛より、
椿姫彩菜の方が、綾瀬はるかに良い。
だべ。
中井は、性転換をしたわけではなかった。
私に気付いたのは、中井だけでなかった。
私に気付いて「風間さん」と言ったのは、
会場受付に座っていた、去年北海道ロケハンにも一緒に行った、
写真家の高橋延明さんだった。
なぜ、延明さんが???。
私の頭では、会場には受賞者だけがいると思っていた。
中井の他に延明さんがいたのは、マッタクの想定外だった。
聞けば、名取賞はJPSの主催なのだそうだ。
で、会員が交代で受付をやっていて、
偶然、私が行った時の受付が延明さんだったのだ。
マッタクの凄い縁である。
まさかここで、延明さんに会うとは思わなかった。
驚いた。
延明さんも、私と中井が知り合いだと思わなかったし、
中井も、私と延明さんが知り合いだと思わなかっただろう。
みんなで、驚きあった。
中井の作品の完成度は高い。
しかし、作品だけで食えない。
「これから、どうするの?」
「いい方法ありませんか?」
「外国いくか、アートいくか、、、写真のスタンスでは食えないよ。」
「みんな、そう言うんです。」
これが立派な東京ミッドタウンでの会話なのである。
延明さんと話した。
今、売り込みに行っていて、「SAKURA」だけは日本の写真雑誌に、
載せたいと言ったら、フォトコンを薦められ、編集者の名を教えてくれた。
驚いた。
その10分後、その編集者が会場に来たのだ。
名刺交換して、見てもらう事になった。
凄い縁である。
(ただ、残念ながら、男性であるが。)
銀座の数寄屋橋時代より、客は増えたと言うが、
私は、銀座の方が良かった。
外にある公園で、タバコが吸えたからだ。
帰りは大江戸線。
よく見たら、大江戸線は新宿から光が丘に行っている。
途中の中井駅で、西武新宿に乗り換えられると言う。
新宿だと、座って乗れるが、中井繋がりで各駅の中井駅に挑戦した。
で、初めての中井駅。
地上に出た。
八百屋や喫茶店、、、商店街があった。
つまり、実質的な連結していないのである。
中井駅で降りた多くの人の後をついていく。
乗り換えではないと思った。
しっかし、疲れた〜。
1月27日(昨日の日記の日付は26日でした。)
凄く良いニュース。
私の日記に度々出てくる愛理は、
友人であり、ヒルズの大家でもある、けいちゃんの娘である。
その愛理が、テレビに出ま〜す。
テレビ東京だから、関東地方しか見れないし、
深夜だが、ぜひ見てやってください。
ちぇんちぇんの名前で、黄色いチャイナ服だと思う。
1月31日 0:55〜 「イツザイ」です。
「イツザイ」は、お笑いの登竜門のような番組で、25日に収録があったそうだ。
そして、「他にもネタを用意しておいて」と言われたそうだ。
つまり、また出れる可能性があるのだ。
お笑い志望ではなかったのだが、本当に良かった〜。
まあ、ネタを作るけいちゃんは、頭が痛いだろうが。(笑)
ダルさは残っており、ボーっとしているが、今日も作品のセレクト。
「紅葉」のセレクトは、本当に頭が痛くなった。
炭鉱遺産関係の写真も多い。
それらを持っていける所も探す。
とにかく、収入につなげないと。
ながら族の私は、結構テレビを見る。
朝青龍が多かった。
私は相撲より、プロレスである。
しかし、相撲界って外人ばかりなのね。
外来魚や外来動物みたいに強いみたい。
それにしても、セレクトは難しい。
私は、北海道が長かった。
だから、20枚以上のファイルを送り、編集部で選んでもらっていた。
掲載された作品は、予想と違うものが多かった。
だから、どれが良いのか、正直言ってわからない。
難しいのである。
(アサカメに載った「風を映した街ー井の頭公園ー」だけは、
編集者とともに、自分で選んだが。)
以前も書いたが、プレゼンは色々。
以前の私は、送ることが前提だったので、ファイルだったが、
バラで見せる方が、喜ばれる場合が多いかも知れない。
私は、貧乏だった。
そして、私は多少、編集者を知っていた。
だから、郵送していた。
多くの人は、私ほど貧乏ではないと思う。
アポを取って、直に編集者に見せるのが良いと思う。
明日は、東京。
初めて行く編集部。
それでなくても熱があるのに、セレクトで、、、。
大丈夫かねえ。
1月27日
メール等の仕事を終えて、トレペと薬を買いにスーパーに行く。
その後、反対方向のコンビニで、公共料金払い。
驚いた。
電気代がなんと6475円。
過去最高である。
確かに、エアコンの暖房は、冷房より電気を食う。
しかし、私の設定温度は17度だし、
モモヒキとジャージ2枚重ねだし、武蔵野時代より綾瀬はるかに、節約しまくっている。
それなのに、ああそれなのに。
(まあ、展がやっていたので仕方ないが。)
昼飯は、マルチャンの札幌ラーメン風とんこつ醤油。
東京風に作られているせいか、麺が細い。
私が食べていたのは、マルチャンの業務用の太い麺。
おまけに、4食100円なのである。
それにベル食品の醤油スープ30円。
安くて美味かった。
しかし、ラーメンを食ってからが問題だった。
いつものように昼寝をしたのだが、眼が覚めたのは午後6時。
冬はもっとも体調が悪いのだが、情けない。
28日は、風景の雑誌に持ち込み。
「SAKURA」はボツだと思う。
その後、娘分の展示に行くとはいえ、電車賃がモッタイナイ。
で、
いろいろ持ち込むことにした。
「紅葉」「空」未発表の公園と風の記憶シリーズ。
改めて、セレクトしていたが、2時間で頭が痛くなってきた。
昨日の日記に、娘分の悩みを書いた。
あれは、私の悩みでもある。
夜、報道番組に夕張が映った。
見知っている場所も多かった。
しかし、とにもかくにも、雪の映像にぞ〜っとした。
夕張でエアコンだったら、電気代はいくらかかるのだろう。
1月25日
頭が痛い。
体調はいまいちだが、そのせいではない。
まして、二日酔いではない。
本当に頭が痛いのである。
昨夜、展示中の娘とテルした。
相談を受けたのだが、その答えが浮かばないのである。
彼女は今、某賞受賞の展示会をしている。
そして、会場にいる。
しかし、「これからが勝負ですね。」
と言われまくられているそうだ。
どうしようもない写真なら、そうは言われないだろう。
期待を込めて言っているのだと思う。
しっかし、それ以前に、思うことがある。
これから、勝負して、たとえ勝ったとしても、
どうだと言うのだ。
彼女の実力は、保証する。
しかし、さらなる評価を得たとしても、
だから、どうだと言うのだ。
食えるのかよ?
「どうやって、生きていけば良いのでしょうか。」
彼女は悩んでいた。
彼女は、30歳。
独身。
彼氏なし。
バイトで食いながら、作品だけを作っている。
「頑張れ。」
「写真家とは、そういうものだ。」
「そんなこと自分で考えろ。」
と言うのは、簡単だし、誰でも言える。
しかし、なんの解決にもならない。
作品で食おうと思っても、表現は厳しい。
48歳の私は、彼女に良いアドバイスが出来なかった。
他の娘達も同様の悩みを持っている。
良いアドバイスがあったら、メールください。
彼女達に伝えます。
1月24日
アッパレなほど、見事な二日酔い。
レベッカの「フレンズ」を歌ったのは覚えている。
関本食堂のあと、居酒屋ゑらんで、ターキーのボトルを新しく頼んだ。
なんと、誰かが入れてくれていた。
((ありがとうございます。大感謝です。))
起き出せたのは、夕方。
しかし、なぜか水戸のご老公のご機嫌が治ったようで、
トレペの色彩は、普通の西武色だった。
確かに痛みもなく、幸福ではある。
しっかし、楽しみが消えてしまった。
私は書が好きである。
書というのは、ほとんど墨で書かれる。
つまり、黒である。
私は、墨の美しさは知っているが、
他の色でも良いと思っているし、
他の色ゆえの表現があると思っていた。
夕張時代からアクリルも書いてきた。
それらの絵は、具象ではない。
赤、青、緑、、、その色彩を最大に引き出すための絵であった。
モノクロの写真作品も多いが、色彩も好きなのである。
「ハンドホール」ではないが、体を使って作品が作りたかった。
ここまで書けばわかるよね。
普通、トイレではトレペを使う。
ヒルズには、半紙が一杯ある。
で、良いものが作れないかと考えていたのだ。
なにしろ、トレペにつく赤はキレイだったのだ。
しかし、どんなに美しいものが出来たとしても、
見たい人はいないよな。
昨日は、「SAKURA」の売り込みテルもしていた。
武蔵野時代、ゴールデン街の「こどじ」で会った編集者。
「夕張」は知られていたみたいで、私のことは知っていた。
覚えていてくれた。
ただ、彼の雑誌は、デジ以外受け付けないという風に変わったらしい。
真理を言っておく。
綾瀬はるかは、デジで撮ろうが、アナログで撮ろうが、美人なのである。
あややも、高橋愛も、藤川ゆりも、真木よう子も、
そして、最近お気に入りの大沢あかねも、、、、。
デジで撮ろうが、アナログで撮ろうが、そんなの関係ねえのコジマ電気なのである。
年は食っているが、由美かおるも関係ない。
(まあ、由美かおるは、デジの性能には耐えられないかも知れないが。)
とはいえ、デジタルに特化するのは、
紙媒体が消滅する現在、有効な手段だと思う。
なにしろ、日本だし、残らないと仕方ないもんね。
雑誌もデジタル。(本質がデジによって変わるのはマズイと思うが。)
私はデジは使わない。
それはデジが嫌いと言う訳ではない。
パソが使いこなせないからである。
ただ、デジならではの表現が広がれば良いと思っている。
まあ、私のアナログと言うか、アナクロでも、もっと表現が出来るという理由もある。
昨日、本屋で、久しぶりにカメラ雑誌をチラと見たが、
昔からあるような写真ばかり。デジの必要を感じるページはなかった。
こういうことを書いたら嫌われるなあ。
風景系の雑誌にテル。(知り合いはいない。)
「SAKURA」だからこそ、写真雑誌に載せたいのだ。
(もちろん、ギャラも欲しい。)
「花鳥風月の桜ではないのですが、見てください。」
「過去の絵葉書みたいな写真ではつまらないし、
日本の写真文化が駄目になります。」
なんて、正直な男なんだろう。
しかし、プレゼン以前の気もするが、、、。
28日に会う事になったが、多分、間違いなく、100%ボツだろう(笑)。
ちゃんとした人は、こういうこと言っちゃ駄目だよ。
国連経由とはいえ、日本は支援物資をガザ地区に送ったと言う。
飛行機の騒音は我慢する。
でも、国連にもっと強くなって欲しい。
(と言っても、私はドキュメンタリーカメラマンではありません。)
1月23日
昼間は窓を開けていた。
暖かだった。
ついでに、オツムも。
このところ、水戸の御老公が機嫌が悪いので、トレペの使用量が多い。
パブロンと軟膏も切れかかっていた。
サティに買出し。
手袋なしでも寒くなかった。
まず、3階の本屋に行った。
写真関係でなく、風景を載せている雑誌を探していたのだ。
無かった。
その代り、東京ウォーカーとか、東京カレンダーという雑誌があるのを見つけた。
この間は見つけられず、埼玉ゆえ無いと思い込んでいた。
(サティさん、ゴメンナサイ。)
今日は、すべてのスペースを廻った。
アイデアが浮かんだ。
写真雑誌に載っても、注文は来ないし、褒められて終わり。
女性誌を何冊も見たのは初めてだったが、
ハナコやJJとかに載ったら、どうだろう?
同じ、褒められて終わりでも、
ファットフォトや女子カメラの読者より、キレイなネーチャンが多い気がするのだが。
と、ロクデモナイ事を考えていたせいか、心臓が苦しくなってきた(笑)。
焼酎と惣菜を買ってヒルズに戻った。
トレペとパブロンと軟膏は、見事に忘れた。
ポケットのメモには、ちゃんと書いてあったのに。
おまけに、ピザもチンで使えないものを買ってしまった。
藝大を目指していた娘分が入院した。
もうすぐ、生まれるらしい。
昔と違って、性別がわかるらしい。
子供の名前は、龍之介。
つまり、男の子だそうだ。
オメデタイのだが、21歳。
私としては複雑な気分なのである。
生まれる前に性別がわかるのは、準備とか便利だろう。
しかし、私は生まれた時に性別がわかる方が感動が大きくて良いと思うのだ。
(お前には関係ねえとか言われそうだが。)
1月22日
雨。
心も雨。
午前中は、掃除と片づけ。
午後は、「FACE」を作るつもりだったが、
ラーメン食って昼寝して起きたら、ダルビッシュ。
(エアコンがあわない気がする。)
暗室の整備だけを少しした。
このあいだ、ヨドバシで新しいマルチ用のフィルターを買った。
フジのは、レンズを換えた時でも、セットがしやすい。
本来は、マルチ用を含めて数種類の伸ばし機が欲しいのだが、
いくら広い狭山でも、置き場は無い。
もちろん、本来は、作品の完成度を上げるために、
機材、資材にベストを尽くすべきである。
無論、それは百も承知の助平。
しかし、金にも限度がある野田社長。
武蔵野ヒルズより、狭山ヒルズのアトリエの環境は数倍良いし、
平均的な写真家の暗室よりも良いだろう。
しかし、所詮、個人の家である。
プロラボや学校の暗室ではない。
限度はあるもんね。
制約は、誰にも、どこでも、あると思う。
作品のアイデアで、それを乗り越えたい。
というか、乗り越えるしかないと思っている。
今日は、カレーの日だそうだ。
全国一斉に給食にカレーが出された日?らしい。
(制定年は忘れた。)
で、制定時の給食風景が放送されていた。
しかし、リアリティーがなかった。
当時の子供の顔にも、モザイクがかけられていたからだ。
時代だから仕方ないかもしれない。
私も公園時代、無断で撮られていたので気持ちはわかる。
瀬戸さんも裁判で負けたらしいし、
時代だから仕方ないかもしれない。
しかし、スナップは海外のものばかりになったりするかもしれない。
そして、十数年間以上?日本の記録が消えたりして(笑)。
それにしても、頭と歯が痛いよ〜(泣)。
藤川ゆりのブログを見て寝ます。
1月21日
近所の古本屋で、本を買った。
マンガでも、エロ本でもない。
「99%禁煙できる本」(笑)。
朝からオバマばかりだったからだ。
私は、経済力もなく、体も頭も弱く、結婚も出来ないが、
ごく普通の日本人である。
そして、ここは日本の埼玉の狭山市である。
福井のオバカ市ではない。
私は貧乏に厭きたので、アメリカで作品を売っていきたいとは思っているが、
戦争は嫌いである。それなりにバランスを持っていると思う。
それにしても、黒人初の大統領のフレーズが多い。
ある意味、それは凄いことかも知れないが、
黒人だから、良い政治が出来るとは限らないだろう。
(まあ、誰がやってもブッシュよりは良いだろうが。)
それ以前に、人種差別で有名な国が、世界でデカイ顔をしていた現実。
マヌケだと思う。(ポチはもっとカッコ悪いが。)
それにしても、ブッシュの顔を見なくてすむのは嬉しい。
今日はチェンジはあまり言わず、強いアメリカの再生と言っていた。
ゾッとした。アメリカはもう強くなくても良いと思う。
今日だけは、貧乏で良かったと、心から思った。
金があったら、ご祝儀相場を期待して、投資していたからだ。
相変わらず、上中下で痛い。
特に水戸のご隠居。
食器洗いも料理を作るのも、メンドクサイ。
昨日の残りと、カップ焼きソバで焼酎。
この時、けいちゃんが来た。
けいちゃんはパソに詳しい。
「フォトグラフィカ」と言う本は、マックの会社?が出してるそうな。
それで納得した。
あの印刷とページと値段で、あんな本が出来る訳がないもんね。
驚いた。
シアターでは、様々なライブをやっている。
テレビに出ているような、お笑い芸人にも知り合いがいるそうだ。
吉本のギャラ500円は、知られている。
(吉本は、現在大企業である。)
登竜門的テレビ番組のギャラはゼロで、足代もなく、弁当だけだそうだ。
(テレビ局は、昔から大企業である。)
テレビに出ると金が出ると思っていた。
以前、札幌のNHKのスタジオに出た時、
作品使用料とともに、出演料をもらったからだ。
まして、若手とはいえ、プロでしょ。
(昔、新聞の連載をしていた。儲けていると思われていたが。笑)
高田馬場のシアターは、産経に特集された。
老婦人からテルがあったそうだ。
「昔、高田馬場に住んでいたのですが、今はどうなっていますか?」
答えようがないよね(笑)。
けいちゃんは、「FACE」のポスカを作ってきてくれた。感謝。
大不況だが、お互い生き残り、発信出来る環境になりたいね。
1月20日
起き出せたのは夕方、、、どした。
食欲も全然無いのである。
冬、よくやる一人鍋をやったのが、
冷蔵庫で解凍していた肉は、牛肉であった。
豆腐を入れて、砂糖醤油に変更。
家庭が欲しい。
愛理のR-1二次予選は駄目だった。
本当に残念だが、良い経験になったのではないかな。
初めて書くけど、18の時にラジオの公開番組で歌った事がある。
心臓バクバクであった。
(多少、写真は褒められていたが、ミュージシャンの方がモテルので憧れていた。)
マーチンD-35か、ヤマハFG-550?(12弦ギター)。
どちらを使ったかさえ、覚えていない。
そして、どの曲を歌ったのか覚えていない。
現在、たまにスナックでカラオケする。
最近も何を歌ったか覚えていない事が多いのだが、
それとは似て非なるものである。
人前で歌ったことはあった。
しかし、プロの会場で歌うのは、初めてだった。
心臓の悪い今なら、昇天していると思う。
若い人は、ドンドンいろんなことに挑戦して欲しい。
写真やいろんな賞の新人賞は、若い時しか挑戦出来ないからだ。
1月19日
昨夜は雨音が大きかったなあ。
お陰で、昼間は暖かかった。
エアコン点けずに、窓を開けれた。
(エアコンと空気清浄機の電気代が浮いたよん。)
BUTしかし、
歯と腰と水戸光圀の具合が悪い。
特に水戸の御老公が痛い。
階段の昇り降りだけでなく、寝ていても、、、。
(上中下、同時の痛みは辛いよ〜。)
フォトグラフィカを眺めていた。
しかし、正直言って、若い人の作品は良くわからない。
まあ、自分の作品が一番好きな人間なので仕方ないが。
杉本さんの作品だが、やはり映画館がいいなあ。
写真を始めた頃、スローシャッターといえば、
星の軌跡か、滝の糸ぐらいしか知らなかった。
ケンコーのNDフィルターの所には、無人の都市があったけどね。
上映時間の光だけで、映像を作るという発想は驚いたなあ。
山崎さんの太陽の軌跡にも、驚いた。
軌跡というのは、星や車のライトを撮るもので、
太陽というのは、多重はあっても、長時間は無いと思っていた。
だって、太陽って、もの凄く眩しいものであり、
写真には写らないという固定観念があったからだ。
逆光は、厳しいしね。
まあ、太陽を生かした「邂逅」という作品もあるし、
http://kazama2.sakura.ne.jp/c3.html
川を使って、太陽を撮った「川の記憶」もあるけど。
http://kazama2.sakura.ne.jp/a.html
昼の番組で、セザンヌが取上げられていた。
印象派は、子供の頃好きだった。
しかし、セザンヌより、ゴッホやピカソの方が好きになった。
今はセザンヌより、スザンヌの方が好きだったりして。
(里田やユッキーナより、美しい太腿だと思う。)
ただ、
セザンヌの絵が売れ始めたのは、60歳。
死んだのは、67歳。
名前が広く知られたのは、死んでから。
そういう事は、知らなかった。
小学生は、そういう事に関心を持たなかった。
自分が将来、芸術をやるとは思わなかったもん。
ちなみに、中学の頃は、
音楽の方がカッコよかったし、政治家志望だったのよ。
また、テレビネタ。
沢尻エリカの挙式。
私はテレビのない期間が長かったので、
沢尻エリカって、マッタク知らないのである。
おまけに、結婚には縁が無いし、興味ない。
しかし、22歳の年の差結婚というのは、夢と希望を与えられるものである。
口で言うのは、タダである。
もちろん、ハイパーなんとかって、良くわからないし、
金は無い。
しかし、報道陣が200人。
ヒマ〜。
1月18日
風邪と腰が酷く、テレビっ子。
昼の番組で、面白いものをやっていた。
ある主婦が、閃いて月に80万稼ぐというのだ。
この主婦は道を歩いていて、きらりと光るものを見つけたそうだ。
その光るものを洗浄加工して、携帯ストラップやアクセサリー、様々な商品化をした。
このキラリと光ったものは、私にとっても身近なものであった。
私はそれを使って作品化しているし、何点かは売れた。
しかし、80万円にはならない。
この主婦が見つけ、私が作品に使っているのは、
鯛の鱗である。
しかし、月に80万、、、。
う〜ん。
私は、売れない写真家を長く続けて来た。
しかし、もういい。
貧乏が嫌いなのではない。
貧乏に厭きたのだ。
改めて、フォトグラフィカを見た。
1700円なのだが、ページのほとんどが作品と文章。
こういう本なら購読しても良いと思った。
なにしろ、デジカメ等の機材の記事が載っていないのだ。
そして、広告もほとんど載っていないのだ。
しかし、花鳥風月ではないので、そんなに売れるとは思えない。
本当に不思議である。
しかし、この本はお薦めである。
ネットでも買えるので、ぜひ。
あ〜、食器洗うのもキツイし、頭が痛い。
今日は、早く寝ます。
1月17日
二日酔い ああ二日酔い 二日酔い
そして、腰がおかしい。
昨夜は、食い物が無かったので関本食堂。
馴染みがいた。
で、スナックに行った。
この間、新聞に載ったせいか、私を単なる酔っ払いと思わず、
関本の分も奢ってくれた。
で、あややの「メッチャ、ホリディ」とレベッカの「フレンズ」。
他の記憶は無い。
ちなみに、私のレパートリーは、
「ラブマシーン」「ラブファントム」「六本木心中」「ランナー」「愛の世代の前に」
「マイレボ」「フォルテシモ」「ダンシングヒーロー」
古い曲が多いが、あややとモー娘は、ほとんど歌える。
AKBも少しは知っている、
知り合いのミクシイからの転用だが。
アメリカでは成人男性向けのグラビア雑誌ハスラーの創始者
ラリー・フリントやクリエイターのジョー・フランシスの両氏は
米議会に対して、米国の性的欲求を回復させるために自動車
メーカーに用意されたものと同様の財政支援を求めている
ことがわかった。
「今日の米国市民は多くが資産や仕事を失い家庭に戻っても
SEXなどできない不能な状況に陥っている。自動車はなくても
米国市民はやってけるがSEXがなくなっては不健康だ
米国の性的欲求を回復させるべきときが来た」と米議会で
速やかな財政支援を求めたという 。
凄いと思った。
娘分の中井菜央の展示がある。ぜひ。
『名取洋之助写真賞』受賞作品展
開催期間 2009年1/23(金)〜2009年 1月29日(木)
11:00〜20:00(最終日 14:00)
会場 富士フィルムフォトサロン スペース1
入場料 無料
http://www.fujifilm.co.jp/photosalon/tokyo/s1/09012301.html
26日(月)27日(火)以外は、ギャラリーにはいる予定だそうだ。
今日は産経新聞に馬場のシアターが載るそうだ。
1月16日
寒いネエ。
とはいえ、雪が無いだけましだけどね。
私はスキーをした事がないが、
美しさフェチなので、雪の美しさは高く評価している。
しっかし、除雪や雪降ろしのある生活は、絶対に嫌〜だ。
今日は、馬場に行った。
11時前に出たのだが、運良くバスにも合い、
快速急行に乗れた。
眠気が無かったので、景色を見ていた。
狭山から東京の街並み。
電車を使った作品は頭の中に出来ているが、
街並みを撮る気はしない。
都市のコンセプトも持っていたが、関心が無くなってきている。
そして、都心に住みたいという気持ちも少なくなってきた。
もちろん、馬場のシアターに行くと、
近くにコンビニがあり、いろんな店があって便利で楽しいと思う。
しかし、それはシアターだからである。
けいちゃんのシアターは50人ほど入る。
つまり広いのだ。
いくら、都心でも狭いと駄目なのである。
もちろん、都心でも広い物件はある。
しかし、当たり前だが、2万や3万では絶対に貸してくれない。
自分の使う空間を含めて、多くの人に貸して、広い空間を得る方法もある。
自分や友人の作品を売ったり見せる空間や、
ライブをやる空間は欲しいと思っている。
しかし、ギャラリーや店の運営の難しさは知っている。
というわけで、
しばらくは、狭山ッ子。
腰や体は相変わらず。
ファイルを作り直していたが、シアターで息苦しくなり、チューハイ。
愛理は、R-1の2次予選近く。ネタは出来たみたい。
3次予選も通ったら準決勝で、その後が決勝だと言う。
数千人の参加だと言う。
170人から30人選ばれた1次予選だが、
この一次通過者でアマは、愛理を含めて二人だけである。
しかも、このグループには、去年の決勝進出者の鳥居みゆきとあべこうじがいるそうだ。
しかし、狭山は遠い。
この間、3000円をチャージしたと思ったのに、
あっという間になくなっていた。
まあ、電子カードの便利さには慣れたがね。(笑)
モッタイナイので、馬場駅前の本屋に入った。
残念ながら、写真集のコーナーには「夕張」は無かった。
(つまり、二流の店である。)
PHOTO GRAPHICAという本を見つけた。
特集が杉本博司。特集2が現代美術と写真。
で、久しぶりにまともな本を買った。
その本の中に初めて見たシリーズがあった。
そして、そのシリーズはローソクを燃やし、
それが消滅するまでを撮ったものである。
私は花火で作品を作っていたことがある。
その時、ローソクのことも考えていた。
そして、ローソクには大きな思いがある。
私が行っていた高校は亀山である。
今でこそ、シャープな町であるが、亀山のローソクは全国一の7割のシェアなのだ。
同級生の多くは、この亀山ローソクでバイトしていた。
ローソクで作品。
それは、考えていた。
杉本さんと同じモノを。
しかし、
頭に浮かんだ最終映像がツマラナイと思い、やらなかったのだ。
理想だけを言うのは簡単である。
しかし、やらないと駄目なのである。
その反省のために、久しぶりに真面目な本を買ったのだ。
初めて見た杉本さんの作品は映画館シリーズ。
ガ〜ンと来たね。
プリントの美しさと発想が凄いと思った。
PJIやツアイトで外国の素晴らしい作品は見ていた。
それゆえ、劣等感も感じていた。
しかし、杉本さんが日本人であることは勇気を与えてくれた。
大抵の作品はわかるつもりであった。
しかし、映画館の発想と美しさは想像出来なかったし、
佐藤時啓の鏡シリーズは、いくら考えてもわからなかった。
この2作品が、私の原点である。
しかし、これらの作品を乗り越えないと、駄目だと思っている。
頑張らないとね。
1月15日
腰と体のアチコチの痛さは、相変わらずである。
ゴミは出せたが、もの凄く寒い朝であった。
というか、小便の色を見たらモロに風邪色。
狭山駅からの帰りの寒さが響いたのだろう。
とはいえ、バスは少ないし、
タバコが吸えないタクシーは、モッタイナイだけなのである。
やはり、歩くのに慣れていないのである。
東京や札幌の人と違って、私は夕張の山の中にいた。
どこに行くにも車である。まさに、暖かい車が足なのである。
こっちに来て、重いカメラと三脚を背負って歩いて撮影することが、
こんなに苦労することとは思わなかった。
一昨日、人形町のポンカメに行った。
一時間早く。で、歩いていたのだ。
本屋を探すためにね。(足もパンパンなんよ。)
先日の展で、売れた作品の梱包。
暖房の入っていない暗室は寒かった〜。
その後、ファイル探し。
ポンカメに持っていった袋には、
なぜか、ファイルの一部しか入っていなかったのだ。
「SAKURA」がメインとはいえ、自分のいい加減さに呆れた。
で、ファイルを改めて送ると言ったのだ。
しかし、このファイルを探す作業が大変だった。
というか、、、無いのである。
もちろん、間違いなく焼いてある。
なにしろ、HPにもアップされているのである。
(パソを立ち上げて、HPで確認したのは、自分でも情けないと思うが。)
狭山ヒルズは、武蔵野ヒルズの数倍の広さとはいえ、
半分は暗室部分であるし、持ち物は少ない。
(まあ、資産価値は数億だけどね。)
それなのに、ああそれなのに。
痛い体と、容量の少ない脳味噌ラーメンで考えた。
なかったが、あった。
どちらも、事実である。
狭山ヒルズには、無かった。
あったのは、この間展示した馬場のシアターだった。
狭山ヒルズをいくら探しても、あるわけがないわな。
それにしても、記憶力がなさすぎ。
とにかく、疲れた〜。
築地からテル。
ショックだった。
「SAKURA」は発表済みということでボツだったし、
「FOOD」等を置いてきたが、
すでに「AGE」は花鳥風月ではないので、ボツにされている。
だから、「FOOD」のボツは気にしていない。
それに、私はデリケートな性格ではあるが、
写真家で有名な人でも作品だけでは食えていないとか、
写真のスタンスでは駄目だとか、将来性は無いと、
編集部内で言っていたもんね。
(だからこそ、「SAKURA」こそ、載せて欲しかったが。)
しかし、8日の日記にも書いたが、
個人的に、それより大きな重要性があった。
しかし、美人のAさんは、独身だとは言ったが、
カラオケは嫌いだと言うし、袖にされた。
傷ついている。
8歳の子が卓球で、高校生に勝った。
高橋愛でなく、福原愛も歳になって、
原宿駅で30秒もチューしてたので、
新しく、清々しい話題が欲しいのはわかる。
しかし、負けた女子高生は、自殺なぞしないで欲しい。
1月14日
腰だけでなく、体のアチコチが痛い。
昨日、私としてはかなり頑張ったからだ。
おまけに、歯も痛い。
一日中寝ていた。
とはいえ、せめて頭ぐらいは使わないとボケると思い、
新作のアイデアを考えていた。
しかし、歯の痛みには勝てなかった。
ロクなアイデアが浮かぶ訳ではない。
1月13日
う〜ん、腰が痛い。
しかし、今日はアポを取っている。
根性、友情、努力である。
午前中、部屋を片づけて掃除。
そして、母屋から脚立を出して、シャッターに貼ってある写真を剥した。
梱包用の透明テープを剥すと、破れたり糊が残る。
セコイようだが、また使えるようにキレイにテープを切っていく。
ラーメンを食って昼寝。
公務員は3連休だったので、今日は飛行機がうるさい。
どうせなら、イスラエルへ行って来いや。
その後、東京。
今日のアポは午後5時。
冬の夕方の光は強い。
眠ろうとしても、閉じている視界が赤くなったり、黒くなったり。
チカチカチカ。寝れネエよ。
しかし。
私は、モノクロームの作品が多い。
昔から、カラーよりモノクロの方に美しさを感じていたせいでもあるし、
元来、美しさフェチなのである。
カメラ本体と電車本体を使っての作品は、考えていた。
しかし、視界が赤くなったり、黒くなったり。
元々、人間の眼はカラーだ。
カラーでなんか作れないかなあ。
馬場から地下鉄で人形町。
相変わらず、ぶっ壊れそうな古いビル。
入り口に灰皿が置いてあり、大感謝。
初めて会う若い編集者だったが、夕張時代から写真を見ていてくれたそうだ。
(嬉しかったが、、、、男である。)
「SAKURA」は駄目だった。
と言うより、それ以前の話であった。
「SAKURA」は、桜である。
桜はたいてい、3月20日発売の4月号に載る。
私は、大丈夫だと思っていたが、時間的に厳しいと言う。
もちろん、作品を見て駄目と思ったかも知れない。
(評価はしてくれたけど、花鳥風月ではないもんね。)
で、袋に入れていた、「東京裏がえし」が預かりになった。
帰りは座れるわけがなかった。
新宿なら、次の急行を待てば座れるのだが、馬場では無理である。
腰が痛かったので、特急小江戸号。
とにかく、電車内で立っているのが一番しんどいのである。
狭山からは歩いた。
タバコが吸えるからである。
喜美の乱や造反で給付金が話題。
私は辞退したいが、貰えるものは貰う。
しかし、貰えると思っているが、元々税金なのである。
私の収入はかなり少ないが、タバコ税と酒税はかなり払っている。
給付金って、人の褌、そのものだと思うのだ。
おまけに、前も失敗しているしね。
メディアも駄目だと思う。
給付金イコール麻生でないのは、誰でも知っている。
宗教の自由は、法律で認められている。
しかし、バランス感覚が必要だと思う。
1月12日
疲れた〜。腰も痛い。
もちろん、飲み疲れもある。
しかし、見ず知らずの方達が、
プライベートである自分の部屋に来るというのは、
結構、疲れるという事がわかった。
エロ本等は隠していたが、アトリエの綾瀬はるかやあややの写真はそのままなので、
新聞の真面目な記事とは、エライ違いだろう。
来てくれた方達は、高橋愛達の写真には触れなかった。
ありがとうございます。
想定外のことはあった。
取材が朝日一社だった。
井の頭公園の関連の時は、読売と毎日だけだったのに。
そして、地元紙が来ないのが不思議だった。
私の予想では、狭山のお客さん達が多いと思っていた。
しかし、9割の人が市外の人だった。
(遠くから来ていただいて、ありがとうございました。)
記事は夕張が中心であった。
しかし、内部に展示してある作品が好評だったのは嬉しかった。
今日、来てくれたお客さんは、須田さんのワークショップに通っていた人だが、
抽象的なものも好きなようで、アクリル画も褒めていただいた。
お客さんは少なかったが、いろいろ話した。
狭山住民の人は、私と同じように西口再開発に疑問を持っていた。
住民の事を考えて、まず駐輪場だと思っていた。
同意された。
私は倒産した夕張に住んでいたが、
ここもいろいろ、酷いそうだ。
明日は、片付けと東京へ持ち込み。
腰が不安である。
1月11日
今日も友人が来てくれた。
で、飲みまくり。
彼も泊まっていった。
1月10日
今日は友人が来てくれた。
で、飲みまくり。
彼も泊まっていった。
1月9日
二日酔い、ああ二日酔い、二日酔い。
というわけで、今日は雨だし昼から向かい酒。
昨日の築地は、幸福な時間だった。
その後、ヨドバシでクスリを買った。
もちろん、現像液で、シャブではない。
狭山出身の娘もいなかった。
その後、遠〜い西武新宿駅。
呼吸が苦しくなり、急行を諦め特急。
スポーツドリンクを飲んで落ち着いた。
私は肝臓が悪い。
しかし、心不全で逝きそう。
狭山に着いた。
しかし、バスの出た後。
タバコを吸いたかったし、西武新宿と大江戸線の距離にタクシーは嫌だったので
歩いて帰った。
疲れた。
肴を作る気力は無かった。
近くの関本食堂に行った。中華丼を食いながら焼酎。
焼酎のボトルが入っている。通しをもらっても、中華丼代のみ。
馴染みの客達がいた。
いつも馬鹿話をしている。
しかし、新聞の記事を持ってきてくれていた。
マスターやママさん達、みんなで見たそうだ。
記事はそれなりに大きかったが、地方版。
道新では連載もしていたし、掲載は珍しくない。
しかし、彼らは酔っ払いの風間しか知らない。
私の「イエ〜ッ メッチャッ ホリディ」も体感している。
「風間さんって、凄いんですね。」
真面目な風間を知らないからだ。
記事には、麻生や国政批判もあった。
あややの私しか知らない人間にとっては、驚きのようだった。
1月8日
今日は作品持ち込みのため、展は休みである。
しかし、新聞を見た方からのテルが朝から数本。
新聞には、12時から18時というのは書かれてなかったが、
8日は休みと書いてある。
麻生さんなら仕方ないが、、、。
私は、定職に就いたことが無いし、写真の仕事も無い。
しかし、多くの人は真っ当な仕事に就いていると思う。
収入が安定して、家族もいるだろう。
羨ましいと思っている。
しかし、多くの善良な人達は、休日でも携帯で呼び出されたりするのだろうなあ。
(私は、今回の展で初めて、携帯が鳴りまくった。)
バスに乗り遅れた。
トイレの前に服を持って行って、用を足して、服を着て、久しぶりに靴を履いた。
(普段は、サンダルなんよね。)
そして、鍵を掛けた。
しかし、肝心の作品を2階に忘れていた。
改めて、靴を履いた時にバスが走っていった。
駅に辿り着いた時、快速急行が出ていきやがった。
仕方なく、次の準急。今日は、運コが悪い。
驚いたことがある。
西武新宿は、連絡が悪い。
このことは十二分に知っていたが、今日は時間を計った。
西武線のホームから、大江戸線のホームまで、16分もかかったのだ。
まあ、私は顔は良いが、腰が悪いし足も短いので、徒歩は時間がかかる。
しかし、16分というのは、ヒルズから狭山市駅までの時間と同じなのだ。
(狭山駅前には、坂道もある。)
同じ時間だとは、思わなかった。
大都会と田舎の違いだろうか。
築地市場前で降りる。ヒルズから1時間50分。
アポの10分前。隣の公園で一服。
東京は、タバコが吸えないので嫌いだ。
(ドイナカの狭山駅でも吸えないが。)
5分前に受付に行く。
入館章を貰い、7階の編集部。
戸惑った。場所が変わっていた。
(今日の受付譲は、イマイチだった。)
通路近くにアポを取ったAさんがいた。
Aさんは、6月の新作展に来てくれた。
私は、桜の特集がある4月号に、
花鳥風月でない、私の「SAKURA」を載せて欲しいと思っていた。
というか、載せた方が雑誌のためにも良いと思っていた。
「SAKURA」を見せた。
しかし、駄目だった。
というか、それ以前の話であった。
撮り下ろしでないと駄目で、すでに発表したものは駄目だと言う。
???
確かに、Aさんは「SAKURA」を展で見ている。
しかし、この間見せた「SAKURA」を持っていくとメールしてあったのだが。
まあ、人間誰しもミスはある。
しかし、
発表といっても、展示会なのである。
それに、何千人も見ているわけではない。
だろ。
そして、ネットだと、どうなるのか?
だべ。
運コのせいもあったが、東京に行くと言うのは、
私にとっては疲れる。(大江戸線の乗り心地の悪さもある。)
納得出来ない。
普段なら、ナニコラ〜だし、OKD呼べやとやっている。
しかし、ニコニコの風間さんである。
なぜなら、人間が出来ているからだ。
というのは、当然、当たり前だが、マッタクの嘘である。
私が今日、築地に行ったのは、
「SAKURA」という作品を載せたかった。
確かに、それは事実である。
しかし、それは、、、半分である。
実は、Aさんに、会いたかっただけなのである。
Aさんは、6月の「風間健介新作展」の写真という言葉が無い事に気付き、
電話をくれた。そして、いろいろ話した。
誌面で紹介してくれて、会場にも来てくれたのだ。
そして、、、おまけに、、、美人だったのである。
正直言うと、築地に行ったのは、
彼女に会いたかっただけなのである。
「SAKURA」の他にも持っていった作品がある。
OKDにも評価されたけど、「ウチは花鳥風月だから。」でボツにされた
「AGE」の進化型の「FACE」や「FOOD」である。
当然、これらはボツになる。
これら新作の掲載は、鼻っから期待していない。
しかし、それなのに、なぜ、持っていったか。
単純で純粋な理由である。
Aさんにだけ、新作を見てもらいたかったからだ。
だから、編集長であるOKDを呼ばなかった。
女性は都合によって、指輪を着けたり外したりするそうだが、
彼女は、今日も指輪が無かった。
幸福な一日だった。
1月7日
早く寝たのだが、疲れのせいか風邪状態。
食料を買出しにいこうとしたら、年配の人が外で写真を見ていた。
中へ入ってもらい話す。
川越の向こうの鶴ヶ島市という所から、来られたと言う。
自転車で。(寛平か!!)
今日は数件のテルと数人のお客さん。
道案内は、相変わらず難しい。
基本的に4丁目は、住宅街である。
目立つ建物なぞ、あるわけがない。
というか、ヒルズの写真が一番目立っているぐらいである。
外の写真と内部の作品にはギャップがある。
お客さんとの会話は、本当に難しい。
「狭山には、二科会の会員が教えている写真クラブもありますよ。」
返答に困った。
夕方のニュースで、廃墟写真の盗作訴訟が放送されていた。
作家にとって盗作は最大の恥である。
しかし、今回はそれ以前だと思う。
私は身近な炭鉱遺産を撮っていただけで、
廃墟ファンでもマニアでもないし、それで儲けようとやってたわけではない。
ただ、廃墟って、同じモノを撮るしかないし、
似たような構図にならざるを得ないと思う。
ただ、問題があるとしたら、
彼らの本を出した出版社だ。
彼らの本は、売れて廃墟ブームを起した。
彼らが、無断立入したかどうかはわからない。
しかし、それらの本を見た人は、誰でも簡単にそこに入れて撮れると思う。
無断立入が増えたのが問題だ。
それにしても、頭が痛い。
明日持ち込む「SAKURA」のセレクト。
写真雑誌だが、花鳥風月でない「SAKURA」を選ぶかどうか。
1月6日
朝早くからテルに苦しめられた。
朝日新聞の埼玉西版に掲載された。
期日は書いてあるのだが、時間は書いていない。
12時からなんよねえ。
まあ、文句は言えない。
しかし、
「東松山からは、どう行ったらよいのでしょうか?」
「……」
埼玉であることは知っているが、
私は、東松山がどこにあるのか知らない。
もちろん、道案内なぞ出来るわけがない。
なにしろ、市内の狭山台という所の人にも、説明出来ないのだ。
狭山の知名で知っているのは、入間川と入曽だけである。
まして、北海道を出てから、チャリ生活なのである。
おまけに、仕事のない私は携帯に慣れていない。
10件近くのテルに、マジにグッタリした。
新宿のルーニーで「夕張」展をしたことがある。
読売の都内版に掲載された。
朝から電話が途切れなかった。
まあ、これは嬉しい悲鳴だし、ギャラリースタッフが出るから良い。
しかし、ルーニーは一般的なギャラリーと同じく10時からである。
「早くから何回も掛けているのに、なぜ出ないのだ。」
普段ギャラリーに行かない人である。
篠原さん、本当にご苦労様でした。
正直言って、接客も疲れた。
私は、ほとんど会場にいる人だが、普段の展とまったく違うのである。
(知人が来ると、馬鹿話をして、リラックスできるんだよね。)
おまけに、外と中の作品が違いすぎるしね。
今日は、10人ほどのお客さんであった。
新聞の記事は「夕張」がメインだったので、
中の作品に驚かれたが、様々な食材なので、
みなさんに楽しんでもらえたと思う。
隣町の入間市にあるFM局が放送してくれるという。
嬉しい。
新聞記事をHPの最近の記事にアップした。
見づらいと思うけど、、、すみません。
とにかく、今日は疲れました。
早く寝ます。
1月5日
起きたのは昼過ぎ。
見事な二日酔い。
しかし、楽しい酒だったので悔いはまったく無い。
昨日の夕方、KさんとIさんが同時に来られた。
チト、驚いた。
Kさんは所沢在住で、夕張時代から写真集や作品を買ってもらっている。
私は派遣以下の収入で、正真正銘の貧乏人だし、
高校の成績は、1と2が多かった。
もちろん、1番や2番ではない。学年最下位である。
Kさんは、大学の経済学部で生徒を教えている教授である。
エライ違いだと思う。
金の儲け方をマジで教えて欲しい。
Iさんは札幌出身で、東京で鉄道関係の出版社に勤めている。
で、ハーレーで北海道ツーリングをしてる。
夕張時代に、遊びに来てくれてからの友人である。
彼の狭山の住所に年賀状を出したことがある。
当時は隣駅の入曽という所だった。
しかし、ヒルズ近くに引っ越しているとは思わなかった。
というか、Iさんの方が驚いている。
昔からの友人が、同じ町内にいるのだ。(マジに驚いた。)
3人で、いろいろ話した。
Kさんは、ファイルを何冊か持って来てくれた。
私とIさんで見た。(Iさんは写真やアートの専門家ではないが、編集者である。)
安心して、見れるレベルと量。
個展をやっていっても大丈夫だと思った。
ものが良いと会話は弾む。
寿司や刺身も持って来てくれて、美味しい思いをさせてもらったが、
あのファイルこそ、美味かった。
しかし、欠点もある。
この先生は酒が駄目なのだ。寂しい。
近所の関本食堂に行こうとした時に帰られた。
Iさんと行った。Iさんもこの店に来ていたそうだ。
常連というか、友人もいたので、盛り上がった。
私のカラオケ話で盛り上がった。
(この間、店の人達とも飲んだのね。)
本当に、楽しかった。
で、途中ヒルズに戻り、写真集「夕張」をプレゼント。
ママさん達、口をアングリ。
「風間さん、このあいだ貰いましたよ。」
記憶はマッタク無い(汗)。
娘分達から年賀状が来た。
HPを作ったようだ。
ぜひ見てやってください。
三宅恵子。
http://oukoku.yokochou.com
渡辺わか菜
http://wakanabox.hippy.jp
1月4日
今日は昼間、お隣のクリーニング屋のオジサンが見に来てくれた。
この人は80歳で、現役でアイロンを掛けているし、
麻生さんと違って、漢字も読めるのだ。
聞けば、弟さんはなんと画家だという。
作品を売って生活しているという。
身近な所で、アート。驚いた。
バブルが弾け、そして最近の厳しさを聞いた。
額代ぐらい?。値段が10分の1ぐらいになったという。
まあ、バブルの頃が異常過ぎたのだが。
その後、久しぶりに写真を焼いた。
久しぶりに、キャリアにネガを挟んだ。
ISO100のフィルムだが、本当にピント合わせが簡単で楽だった。
しかし、作品としては良くなかった。
適正に露光した印画紙に、
霧吹きで現像液を吹きつけた。
面白くなかった。
そして、未露光の印画紙を取り出して、
蛍光灯の下で、現像液を入れた霧吹きを使った。
細かな水滴により、面白い映像が出来るのではないかと期待したのだが、
う〜ん、イマイチ。
そして、バライタの印画紙を十分に水に浸してから、
イーゼルに入れて、露光。
少し、眠い画像が出てきただけ。
なんでもやれば良い、というものではない事は知っている。
実際、今日の所はドボンであった。
しかし、10の挑戦で、一つ成功すれば良いと思っている。
カメラを使った様々な表現方法はノートに一杯書いてある。
しかし、それらは今の私には関心がない。
「ハンドホール」と言うものを考えた事がある。
http://kazama2.sakura.ne.jp/hando.html
体を使って映像を作りたいという思いがあった。
指の隙間を小さな点にすれば、
ピンホールのような映像は作れた。
しかし、それでは新しい映像とは言えない。
私は多くのピンホールに意味を感じていない。
ピンホールの機材を買ったり、作ったりしなくても、
鼻の脂をレンズに塗れば同じだと思っている。
(佐藤時啓のピンホール以上の映像を作らないと、意味がないのだ。)
とにかく、もっと考えないと駄目なのである。
頭の悪さは、実感している。
携帯も使いこなせないのだ。
しかし、あの携帯の分厚くい取説を理解するぐらいなら、
胃に穴が開いたとしても、作品に向き合いたい。
私にとっては、その方が楽しいしね。
お隣は、クリーニング屋さんで良い人なのだが、
お隣に出すような服は持っていない。
安くて、ラフな服しか持っていない。
アイロンというものは、使ったことが無い。
霧吹きというものを使ったのは初めてである。
素の印画紙に、霧吹きで現像液を吹きかけるのは、
可能性を感じた。
今回使った霧吹きは、夕張の隣町の100キンタマで買ったものだと思う。
しかし、買ったのは一つである。
霧吹きは、もっと都会の?狭山にも100円で売っている。
清貧の私でも、10個ぐらい買っても平気である。
一般的なプリント作業は、同じ液を使っている。(現在は、ハイデナール。)
しかし、いろんな現像液を、いろんな希釈で使えば面白くならないかなあ。
様々な現像液だけでなく、
停止液や定着液を入れた霧吹きを使うのも面白いかも知れない。
それに、風間さんにとって霧吹きの原点は、
グレート・ムタではなく、ザ・カブキなのである。
現像と乾燥処理が終わってから、アクリルや墨を吹き付けても良い。
もしくは、現像処理をしなくても、
変化する映像を長時間の中で見出すのも面白いかも知れない。
ちなみに高校の頃、KISSのジーン・シモンズの真似をして、
ガソリンを口に含んで、火を吹いたこともある。
あれは、ガソリンではない。
口の中が爛れるのでヤメタ方が良い。
夕方、お世話になっている人が2人来てくれた。
続きは明日書きます。
皆さん、気楽に遊びに来て下さい。
1月3日
朝早く眼が覚めたが、寒かったのでベッドの中で、新作のアイデア出し。
私は、パソも携帯も使いこなせないし、
アルコールとニコチンが性能を更に落としている。
新作が簡単に出来るわけがない。
テレビを点けた。
驚いた。
茶色のダウンジャケットを着て、検事をやっている私がいた。
工藤静香は好みではないが、本当に似ていると思った。
言論は自由だし、言うのはタダである。
但し、少し虚しくなる。
それにしても、良いアイデアが浮かんで来ないのでアルフィー。
色気もなく、好みでない、松たか子を見てても浮かぶわけないわなあ。
本当に胃が痛くなる。
午後、ピンポ〜ンが鳴った。
居酒屋で知り合った人が見に来てくれた。
造園業をしている。
初めて知ったが、お父さんは三重賢人で磯部町に住んでいた。
そのせいか、お名前は磯部さん。
写真やアートには関心が無かったようだが、
真剣に見てくれて、理解しようとしてくれた。
新作は美術の世界でも通用するのではないかと、言ってくれた。
狭山は埼玉だし、遠いのだが、楽しい。
バランタインありがとうございました。
12日まで自宅展、遊びにいらして下さい。
お酒もありますよ。
1月2日
午前中に食料の買出しに行き、昼間から飲んでいた。
正月だからではない。
次の作品のアイデアを考えていたのだ。
「AGE」「FOOD」(天かす)「FACE」に続くものが浮かばないのだ。
友人知人達が展に来てくれるのは、4日以降である。
取材は一紙あったが、まだ掲載されていない。
つまり地元の人も来ない。
で、飲みながら頭を柔らかくして、考えていたのだ。
それにしても、正月だと言うのに、狭山の駅前は寂しかった。
開発中とはいえ、地味なのである。
ヒルズ展が終わったら、シャッターから写真を剥し、
工事現場の囲いに張ってやろうかと思った。
しかし、再開発の場所に「夕張」の写真は、、、、、、
断わられそうである(笑)。
ちなみに、ヒルズの窓から3軒の家の玄関とドアが見える。
しかし、そこに正月飾りは一つもないのである。
ヒルズでさえ、100キンタマで一番高そうに見える飾りを買って、
表と裏に飾ってあるのに、、、。信じられない。
と言いつつ、買い物の途中に神社が見えたのだが行かなかった。
階段がメンドクサそうだったのだ。
今年も初詣は無し。
というか、初詣の記憶は、、、、、夕張時代に一回?。
それぐらいしか記憶がない。
石神井や座間、三茶、、、、三重時代も記憶がない。
久しぶりに、明日行ってみようかな。
昨日は元カメアシで、栃木でドカッチのバイク屋さんのHさんが来てくれた。
大酒をした。 楽しかった。
狭山ヒルズは広く、武蔵野ヒルズと違って、普通の声で話せる。
当たり前のことかも知れないが、本当に嬉しい。
彼は結婚しているし、2人の娘がいる。
私からすれば、絵に描いたような幸福な家庭。
しかし、そうでもないらしい。
彼は、スナックなぞに行かないで、自宅で酒を飲むそうだ。
酒飲みというのは、時間が長い。
しかし、娘達は夕食を食うと、さっさと自分の部屋に去ってしまい、
寂しい思いをしてるそうだ(笑)。
彼は私と同様、パソに詳しくない。
しかし、ミクシイをやってみたいそうだ。
私自身、ミクシイってよくわからないが、紹介制らしい。
娘さん達はミクシイをやっているそうだ。
で、紹介してくれと頼んだ。
しかし、娘達に断わられたそうだ(笑)。
下の娘さんは、芸能界志望である。
以前、愛理と一緒に撮った事がある。
35で11本撮った。
いいものが撮れたと思っていた。
しかし、カメラが壊れていた。
11本全部、真っ黒だった。
2人のお嬢さんは頑張ってくれたし、辛かったと思うし、
本当に申し訳なく思っている。
しかし、私も凄まじく傷ついたのよねん。
(デジカメの良さを最高最大に実感させられた。)
下の娘さんを、応援している。
芸能界で成功して欲しいと本気で思っている。
そして、ほしのあきや高橋愛等の芸能人を紹介して欲しいと本気で思っている。
(しかし、泰葉みたいな女だったら怖いなあ。)
この下の娘は、凄い部分がある。
私は、写真で食えない。
以前、15歳のこの子は言った。
「他の名前を使って、コンテストに出したら。」
多分、普通のアマチュアよりは上手いと思う。
しかしねえ。
私の新作にも、「動きがない。」と正直に言ってくれたそうだ。
確かに、FOODシリーズは静物画のようなものである。
美しさフェチの本領を発揮したいと思って作っている。
しかし、その言葉が引っ掛かった。
大きなヒントになりそうで、心に残って飲んでいた。
彼女は15歳である。
デジカメ世代でもある。
父親の焼くベタとか、6X6サイズが新鮮らしい。
で、父親が持つハッセルが欲しいと言う。
(ハッセルというのは、スェーデンの6X6の高級カメラで、
ハッスルは、泰葉が出たプロレス団体である。)
いくら栃木とはいえ、現代の女子中学生においては、
ビトンやプラダの名前ぐらいは知っているだろう。
しかし、中学生がハッセルなのだ。
私の日記を見ている人達は、同年代が多いと思うし、
中学生の子供もいると思う。
しかし、中学生にハッセルを求められたら困るだろうね。
というわけで、私がハッセルをあげた。
と言うのは嘘である。
ヒルズにハッセルはないもんね。
(というか、印画紙がモッタイナイので、6X6はあまり好きでない。)
しかし、ヒルズには友人のNOYANから貰った二眼レフがある。
東ドイツの露出計のついたツアイスイコン。
美しいカメラで、インテリアにも良いと言われた。
しかし、6X6で撮ることは少ないし、
しばらくは、カメラ自体を使うこともないだろう。
私はカメラは壊した方が良いと思っている。
とはいえ、2階からブン投げたり、蹴飛ばすことはしない方が良い。
使い込んで壊すのが、カメラ冥利だと思っている。
ヒルズにいたら、二眼は使われないままだろう。
使われることは、カメラにとっても幸福だろうし、
NOYANも喜んでくれるだろう。
友人でもある父親は、ライカを持って来ていた。
(私はライカより、スイカや酢イカの方が好きだ。)
M6とMP。黒とシルバー。
平凡な色である。
彼はイタリアのドカッティを売っている。
フェラーリもそうだが、ドカのメインカラーは赤である。
赤は青とともに、私が最も好きな色である。
ヒルズは、アトリエである。
絵の具も筆もある。
ライカを赤くしてあげようとしたが、断わられた。
1月1日
謹賀新年。
朝は寒かったけど、昼間は結構暖かい。
とはいえ、眠い。
昨夜は夕方起きだして、格闘技を見て寝た。
格闘技と言うより、ショーなのだがハッスルが以外に面白かった。
天竜源一郎は58歳なのに元気だったし、泰葉も年齢を感じなかった。
回転海老名家固めというネーミングも良い。
ちなみに、私の流行語大賞は、
「あなたとは違うんです。」と「金髪豚野郎。」なのだ。
しかし、眠れなかった。
物音が続くのである。
近所の音ではなく、部屋の中の音である。
よく壁に電灯のスイッチがあるだろう。
あれのオンオフに似た音が、数分ごとにするのだ。
引っ越した当時から、音はしていたのだが、
昨夜はそれが酷かった。
やっと寝た夢の中で、プロレスの企画をしていた。
一年の計は元旦にあって欲しくない。
それにしても、年賀状どないしよう。